#03 ハートじかけのオレンジに捧ぐ

 ナイアガラ・トライアングル2の3人の共通項は「ビートルズ」でした。しかし、大滝サイドの1曲、「ハートじかけのオレンジ」は『アンチ・ビートルズ』ともいえるような、敢えてアメリカ勢を下敷きソングにした曲なのかもしれません。

 たとえば、「ハートじかけのオレンジ」は、ビーチ・ボーイズがその3年後に発表する「ゲッチャ・バック」を予見する曲調であり、また、後奏のSEは「ペット・サウンズ」的だという声も聞かれます。

 たとえば、「ハートじかけのオレンジ」のBメロは、ジャン&ディーンの「渚のガール・ハント」(I FOUND A GIRL)から引かれているようです。ジャン&ディーンといえば、ビートルズの米国上陸までは、サーフィン・サウンドとホット・ロッド・サウンドで人気を博し、ビーチ・ボーイズとともに全米で一大ムーブメントを巻き起こしていたのです。
 この「I FOUND A GIRL 」は、P.F.スローンの手による曲です。ちなみに、「GO!GO!NIAGARA」の「あの娘に御用心」は、P.F.スローンがハマンズ・ハーミッツに書いた曲「A MUST TO AVOID」の邦題「あの娘に御用心」から「いただいた」ものです。

 たとえば、「ハートじかけのオレンジ」のAメロは、デビッド・ジョーンズ(DAVID JONES)の「虹のドリーム・ガール」(Dream Girl)から影響を受けているようです。英国のビートルズに対抗するためにアメリカで結成されたのがモンキーズですが、メンバーのデビッド・ジョーンズがモンキーズ参加の前年にソロでリリースしていたのが、この「Dream Girl」でした。
 1980年から81年にかけて東京のテレビ局で「モンキーズ・ショー」が再放送され、関東で当時、モンキーズ・リバイバル・ブームが巻き起こったことも、引用の端緒になったのかもしれません。

  たとえば、「ハートじかけのオレンジ」では、アメリカで人気を誇った女声コーラス・グループ、コーデッツの「ミスター・サンドマン」(Mr.Sandman)のフレーズが印象的に使われています。音楽史にロックンロールが登場した1955年の前の年、1954年に全米1位の大ヒットを記録したのが「ミスター・サンドマン」です。もともと『Mr.Sandman』とは、子どもの目に砂をかけて睡眠をさそう眠りの妖精のことです。この曲を象徴的にとらえて、「1954年を最後に古き良き時代のアメリカ音楽は眠ってしまった」とよく例えられるのだそうです。

 さて。
 ナイアガラーにはおなじみのフィル・スペクターに連なる人脈であるドン・カーシュナーとレスター・シルが、先述のモンキーズを売り出そうとして当時雇ったのが、名プロデューサーのスナッフ・ギャレットでした。さらに、それに先がけること数年、おなじく前述のジャン&ディーンが、そのスナッフ・ギャレットのもとでレコーディングした1曲に「Linda 」という作品がありました。この曲のモデルになったのが、作曲者の友人の娘であるリンダ・イーストマン、そう、後のポール・マッカートニー夫人になる女性なのです。
 そのリンダ・マッカートニーがソロ・レコーディングで遺した曲は数少ないのですが、1977年に「ミスター・サンドマン」をポールとともにユニークにカヴァーしています。

 冒頭で『アンチ・ビートルズ』なんて述べましたが、こうして見渡してみると、「ハートじかけのオレンジ」では、「ミスター・サンドマン」という曲が、海を越えて、時間をこえて、次元をこえて、たとえば、ビートルズとアメリカ勢をつなぐ接着剤のような役割をはたしているのではないか、という気さえもしてきます。
 歌詞に目をやると、「ミスター・サンドマン」の英語詞と「ハートじかけのオレンジ」の歌詞の世界は、見事にリンクしていて驚きます。おまけに、「四次元の夢のあと ベットに君がいた」という一節は、なんだか、「Dream Girl」と「I FOUND A GIRL」をも想起させる気がするのです。



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